いつもお世話になっている
「韓国の部屋」ブログに紹介されていた、「朝鮮民族を読み解く」という本を読んでみました。
副題「北と南に共通するもの」とある通り、韓国・北朝鮮を国ではなく、一つの朝鮮民族として捉えているのが特徴です。
考えてみれば、南北分断という悲劇が起こる前は、同じ一つの国、ましてや同じ民族であり、その根底に流れる思考や行動様式は、イデオロギーなどモロトモせず、生き続けていることでしょう。
韓国映画・ドラマを観ていて、その習慣・考え方の違いに驚いたり、それがかえって面白かったりするワケですが、この本はその謎解きもしてくれます。
たとえば、あのキミョーな結納行事の意味、法事に過剰な食べ物を供えるワケ、自分の子供の名前の前に何故「ウリ」をつけるのか?等など・・・
この「ウリ」(自分たち)と「ナム」(他人たち)との画然とした区別こそが、朝鮮民族を読み解くカギのようです。
そして面白かったのは、朝鮮民族の日本民族に対する見方です。
私は日本の植民地支配に対する反感、反日感情だとばかり思っていたのですが、もっと歴史上根深いものがあると知りました。
朝鮮にとって、目に入るのは中国(漢民族)だけであって、中国に対するコンプレックスが逆に中国以上の儒教社会を形成したのは興味深いことです。
朝鮮の歴史は、言い換えれば、漢民族との絶えざる戦いの歴史かもしれません。
私の世界七不思議の一つに、なぜ朝鮮が大国中国に飲み込まれなかったか?というのがあったワケですが、これは朝鮮に対して失礼であったと気付きました。
飲み込まれるなんてトンデモナイ、対等という認識かもしれません。
百戦錬磨?の朝鮮民族、あだや侮るべからず!(特に金正日などいう者は)
ここ数年、韓国映画・ドラマを観て、知れば知るほど「近くて遠い国」だと感じる今日この頃、つくづく自分は東洋の顔した西洋人(日本人)だと思います。
その中でも、際立って個人主義を標榜する私みたいな人間は、韓国や中国社会ではやはり生き難いようです。
だからといって絶望はしていず、違いを認めたうえでお互いの理解は可能であると思っています。
そして、日本といえばアニメやコミックを一番に思い出すネット世代の若者に、厭世的楽天主義者?は、密かに期待している次第です。
なぜかあらぬ方へと脱線してゆく私のレビュー、コレ読むより本読んでください!