トツゼン猫のハナシで恐縮ですが・・・・・
坂東真砂子氏の「子猫殺し」のエッセーを、私は実際に読んではいない。
「きっこのブログ」で初めて知り、引用された文を読んだのだった。
きっこさんはエラクお怒りで、例によって過激で鋭いご指摘、イチイチご尤もだと思った。
今日また朝日新聞に、投稿記事でこの件が採り上げられ、寝た子を起こされてしまったってワケ。
そこで、私はきっこさんほど過激ではないけど(上には上がある!)、自分の体験などを少し書いておこうかなと。。。
私は自他共に認める、いわゆる猫キチである。
この世で一番可愛い動物は、私にとっては、猫。
ショージキ、動物は人間以外は、犬も、ゾウも、ライオンも、ヘビさえも、みんな好き。
でも、やっぱり猫がイチバン、好き!(こんなコマーシャルあったっけ・・・)
猫と暮らして20数年、これはムスコより長い。
今の猫が4代目、14年以上も側に居る。
この猫が私にとっては初めての、メス猫だった。
そして、やはり避妊手術を受けている。
多分6ヶ月くらいの時(拾ったので正確ではない)、まだ両手にすっぽり入るくらい、小さく幼い頃に・・・
その時、私を訴えるように見る怯えた目を、私は決して忘れない。
そして私は固く心に誓ったのだ。
自分の生命と存在すべてを私に預けているこの小さな生き物を、最後まで見届けることを。。。
かくして14年余り、私は彼女のハハオヤ兼、召使い兼、時には看護婦、時には座布団、枕・・・
に成り果てたのである。
もっといえば、仕事で海外に行ったオットと家に居る猫の間を行ったり来たり、ついには飛行機に乗って一緒に海を渡ったって次第。
最近では、両親の介護に、とうとう実家へ移住できなかった、猫は一つの要因でもあった。
言ってみれば、オットよりもオヤよりも、猫を優先したのかも・・・・・
それもこれも、あの時の罪悪感が残っているのではないかと、思えなくもない。
褒めることはあっても、ほとんど叱ることのないほどネコっ可愛がりの猫は、私にとって・・・
どこかへ飛んで行きそうな自分を繋ぎ止める一本の綱、成長しないコドモ、辞書から退屈という言葉を消してくれるけど家事を倍程増やしてくれるもの、そして、そして・・・・・
人間に、他の動物の生殖を支配する権利はないのは事実。
それを承知で、胸を痛めつつ避妊手術をしてでも、私は猫と暮す道を選んだと、思う。