「石田徹也」ショックから1週間が経ちました。
放送以来、スゴイ反響らしく、昨夜の「ヒューマン」という番組にも採り上げられたりしました。
おかげで、放送終了直後に注文した画集が、何時届くか分からぬ状態。
たいていの場合マイノリティな私としては、ちょっと複雑な気持ち・・・・・
さて、今日は今日とて、日曜美術館30周年記念番組とやらで、
田中一村が採り上げられ、なつかしさのあまり、つい、記事UPということに・・・・・
田中一村を初めて紹介した日曜美術舘「黒潮の画譜ー異端の画家・田中一村」は1984年12月放送だったのですが、残念ながら私は観ていません。
私が一村を知ったのはその10年以上後、テレビでほんの一瞬、一村の一枚の絵を観たのがキッカケでした。
石田徹也と同じく、全身に電流が奔りました。
私って電流が奔りやすい体質なのか、ラジオで尾崎豊の歌を一声聴いたときもそーだったし、平野啓一郎の「日蝕」を読んだときもだし、「冬ソナ」のオープニング画面を初めて見たときも・・・・・
このときもすぐに画集をネットで検索、ゲット、タマタマ「絵のなかの魂」という一村の評伝も買って読みました。
でも、ナンと!忘れもしない2001年秋、田中一村記念美術舘が奄美大島にオープンと知り、狂喜乱舞!
さっそく翌年の1月、奄美大島へ田中一村の絵を観に行ったのでした。
2泊3日の奄美大島への旅、ただただ、一村の絵に会いに・・・・・
一村は早熟の画家といってもよく、はやくからその才能は認められていました。
日本画壇とは一線を画してはいたものの、千葉時代にも多くの作品が残っています。
しかし、やっぱり奄美に行ってからの一村の絵は、まるで蛹から孵った蝶のようです。
厳しい自然、極貧の生活、忍び寄る老い、その中からあんな素晴らしい作品が生まれるなんて、奇跡としか思えません。
私が一番好きなのは、画集・新版の表紙の「アダンの木」です。
これはもう、暮れてゆく空と海をバックに、アダンの実一つに光が差し、神々しいばかり。
モダンな構図はとても斬新、たしか、ヴォーグ(仏・ファッション誌)の表紙にもなりました。
奄美から持ち帰ったアダンの実は、今でも大事に、我家にあります。(壊れてバラバラですが)
念願の一村の絵を観たあと、奄美の自然の中を行くと、アチコチに一村の絵の風景が見られ、
まるで一村の絵の中に迷い込んだような錯覚さえ覚えるのでした。
アダンの木と実 ヒカゲヘゴ(巨大なシダ)