昨日、満を持して?是枝裕和監督の「万引き家族」を見に行った。
カンヌ映画祭でパルムドール受賞という快挙を成し遂げ、「誰も知らない」からの是枝ファンとしては上映を楽しみに待っていた。
実は、「誰も知らない」で柳楽優弥君が同じカンヌ映画祭で、史上最年少で最優秀男優賞を受賞した時、私的には最優秀作品賞か、最優秀監督賞を是枝監督に差し上げたかった。
なので、今回は別の作品ではあるが、パルムドール受賞のニュースには驚きと感動、そして喜びが沸き上がったのだった。
「万引き家族」を見ながら、私はなぜか「誰も知らない」を彷彿とさせられた。
一つには、子役の少年が当時の柳楽優弥君と雰囲気が似ていたから。
そしてもう一つは、社会から零れ落ち忘れられた人々を、淡々と描くその手法。
万引き家族は、祖母の年金を頼りにしつつも、父は工事現場の日雇い、母はクリーニング店でパートで働く。
そして足らない生活用品を万引きで賄うという生活をしている。
特に、父と息子はスーパーで協力し合いながら万引きを繰り返す。
ある日父子は通りがかりに、アパートの廊下に置き去りにされた少女を見つけ連れ帰る。
少女の身体には明らかに虐待の傷跡が多数残っていた。
そして少女は男の子の妹として家族と一緒に暮らすことになり、やがてこの家族の真実が明らかになってゆくのだが・・・
ここからは私の独断と偏見を言いますと
この映画の主人公はあるいは狂言回し的な役割は、息子の祥太ではないのか?とふと思う。
彼の中で、万引きに対する罪の意識が芽生え始め、それがわざと捕まるような行動に出たのではないか?
彼の行動をキッカケに、この家族はある意味崩壊するのだが、けっして悲劇的ではない。
「誰も知らない」でも「万引き家族」でも、子共の健気さと賢さと逞しさが強く心を捉えて離さない。
と同時に子供の限界、弱さも。
是枝作品は見終わってからが始まり、のような気がする。