本、とくに随筆やエッセイを読むとき、内容もさることながら文章力は大きなウエイトを占める。
文章の上手い下手、あるいは合う合わない、好き嫌いに左右されてしまうのである。
私の独断と偏見では・・・・・
名文の誉れ高い美しい日本語の珠玉の文章、近寄りがたい優等生は須賀敦子さん。
ほとんど名人芸ともいえる随筆の達人で、気取らない優等生は向田邦子さん。
自由奔放、歯切れがよくて痛快、その毒気に当てられ?中毒になってしまった佐野洋子さん。
今回この三人に加えて、若き世代(私よりは)の二人の文章の達人の本をご紹介。
なぜか全員女性なのだが、その理由については今のところ考えない。
この本を最初に読んだのは実は昨秋である。岸本佐知子さんの本は
「ねにもつタイプ」も面白かった。翻訳家としてご活躍なのだが、エッセイストとしても認められた存在。
前回と同じ感想になってしまうのだが、ただの日常が岸本さんの手にかかると、妄想と空想に満ちたシュールな世界に変わってしまうのである。その落差に戸惑いつつも興味シンシン。つぎつぎ読みすすんで終わるのがもったないくらい。一話一話につくイラストがオシャレ。
翻訳家ということばのプロ中のプロだから当たり前なのだが、リズム感のある文章がここちよい。
また、岸本さんと私にはオリンピック嫌いという共通点があったのである。
ダメもとで図書館にリクエストしたら、意外にもすぐに手許に届いた。実はつい先日もべつの本が届き、少々味を占めている?それはともかく、著者太田直子さんの本は以前にも
「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ」を読んでいる。
太田さんは、日本語以外の映画の字幕翻訳者である。たしかにお世話になっているにもかかわらず、つい当たり前のように見過ごしている映画の字幕、その内幕、あるいは字幕屋の仕事のイロハが書かれて興味深い。
たとえば、字幕の制限字数の目安は1秒4文字が基本だという。これを読むと、字幕に注意して映画を観るようになるからゲンキンである。私なんかつい先日も「華麗なるギャツビー」を上映時間の都合で吹き替えで観てしまい、太田さんに謝りたい気持ち。
後半は平均的なニホンゴと題して、今どきの日本語事情について書かれている。
私も同罪なのだが、ネット上でシロウトが簡単に文章を書くようになったことについて、
「誤字脱字はもちろんのこと、文法破綻、論理爆裂、句読点規範大逸脱、改行ゼロで黒山の文字だかり。ひと目見ただけで読む気の萎える文面がネット空間には腐るほどある」と、嘆いている。
映画の字幕翻訳家になったいきさつも書かれているのだが、子どもの頃の読書体験が似ていて面白かった。つまり、小学校までルパンばかり読んでいて、私なんか本気で怪盗になるつもりだった。
それがイキナリ、忘れもしない中学一年の夏休み、ドストエフスキーの「罪と罰」を読んで人生が180度変わってしまったのだった。
太田さんはそのままロシア文学へ、縁あって映画の字幕翻訳へとすすまれたのである。
日夜ことばと格闘し続けてきた二人の文章にすこしでもあやかりたい、と思う今日この頃である。
しかし、努力だけではどうにもならないこれは持って生まれた才能、のような気もするのである。