長年(ウン十年)、毎年花を咲かせてくれる時計草なのに、今年初めて気づいたことがある。
時計草の花は一日花ではないか、ということに。
夢か現か目の錯覚か、イマイチ自信がないのだけど・・・
でもそれ以来、時計草が愛おしくてたまらない気持になったのは、ほんとうである。
それはたぶん、今の自分の心情にピッタリだからかもしれない。
花にもいろんな散り方があり、人にもいろんな死に方がある。
そして、それを選ぶことはできない。
だが、人はある程度生き方を選ぶことはできるのである。
生死一如というなら、自分の生き方は即ち死に方だといえる。
一日生きることは、一日死ぬことでもある。
私の理想の死に方は、自然死でしかも孤独死。
いつのまにか、静かにこの世にさよならしたい、と思う。
時計草のように。。。