今週BSプレミアムで放送されている「おまえなしでは生きていけない 猫を愛した芸術家の物語」を見ている。
第1回(月)は画家藤田嗣治、第2回(火)は作家内田百閒だった。
猫ばかりか、藤田嗣治も内田百閒も好きなので、つい熱心に見たのだった。
ちなみに、本日(水)は向田邦子、明日(木)は夏目漱石と続くので楽しみにしている。
藤田嗣治は、世界美術史上最も多く猫の絵を描いた画家、あるいは、フランスで最も有名な日本人画家といわれる。すばらしい乳白色と称えられる藤田の裸婦のその足元に、そして自画像にもいつもネコが描かれる。まるで自分自身のサインのように。
藤田嗣治は、西洋絵画に日本画を取り入れることで、独自の絵画世界を作り上げるのに成功。その絵のモチーフとして、猫は藤田にとってかけがいのないものであった。この、野獣性と家畜性の両方を併せ持った猫を、藤田は愛してやまない。
私の持ってる「猫の本」を見ると、猫のあらゆるポーズが描かれ、猫の愛らしさ野獣性がとことん表現されている。そしてこの中の1枚が今我家の壁にかかっている。モモの身代わりとして。
内田百閒と猫との関係はなんとも切なく哀しい。なんせ、初めて飼った猫ノラと過ごした時間より、居なくなったノラを想い続ける時間の方がずっと長い。まるで、初恋の人を想い続ける純情な少年のようである。
その間の心情は「ノラや」に詳しく書かれているのだが、その狼狽ぶりには、内田先生には悪いけど、ちょっと笑える。いえ、身につまされてしまうのである。オス猫を放し飼いで飼った経験のあるヒトなら、たぶん、たいていは経験することなのである。特にノラ猫を拾って飼うと、ある日突然フラリと居なくなるのである。そして、帰ってくることもあれば、そのまま帰ってこないこともある。
かくして1匹の野良猫が、頑固で変わり者の老作家を絶望の淵に追いやり、14年もの長きにわたり想い続けさせることになる。まさしく猫の魔力、ヒトを虜にする不思議な魅力なのである。たぶん、内田百閒自身の中に、猫と通じる何か、猫的なものがあったのではないだろうか。
そんな気がする。
かくいう私も、最初に猫を拾って飼いはじめて間もなく出ていかれてしまった。
内田先生みたいに新聞広告こそ出さなかったが、名前を呼びつつアチコチ探し回ったものである。
結局ヨレヨレになって帰ってきたのだが、元気になるとまた出てゆく、の繰り返しなのだった。
猫は芸術家と暮らすと立派な作品として残るのである。
けれど、そうでない人間にとっては何が残るのだろう。
かたちこそないが、たしかに、ある貴重なものを飼い主に残して去ってゆくのである。