家に猫がい居た頃より、居なくなってからの方が猫の絵とか、猫という字の付いた本とか、はては猫グッズに目がいくようになった。
本物が居れば、猫グッズなんか要らないのである。
そんなわけで、以前から気になっていたこの「性悪猫」も、なぜか今急に読んでみたくなった。
といってもマンガなので、読むより見るといった方がよいのだが、作者のやまだ紫さんは一昨年既に亡くなられている。
性悪というのは、猫にはピッタリだが、犬には似合わない。
また、女には付くが、男にはあんまり付かないようである。
なので、性悪猫は、きっとメス猫に違いない。それもみな、愛すべき性悪猫たちである。
ふだんあまりマンガを読まないのだが、この「性悪猫」は絵と言葉の両方を使って一つの世界を創りだし、あらためてマンガならではの表現力と魅力をかんじさせてくれる。
あくまでも写実的にリアルに描かれた猫の絵、その猫たちの悟りきったセリフにドキッとする。
我家の猫たちも、あんがいこんな冷めた目で私を見ていたのかもしれない、と今思う。
内田樹の「日本辺境論」によると、日本がマンガ王国なのはちゃんとした理由があって、日本語が表意文字と表音文字を併用する言語であるからだという。
日本人は漢字とかなが脳内の違う部位で処理されており、マンガの絵の部分は漢字を担当している部位で、吹き出しの部分はかなを担当している部位で処理しているらしい。
日本人は、絵を表意記号として、ふきだしを表音記号として並列処理する回路ができており、ゆえにマンガのヘビーリーダーになれるとのこと。
ただ私の場合、このマンガ・リテラシー、残念ながらあんまり高くはないみたい。