14日の金曜日、フェルメール展見に東京サ行ってまいりました。
金曜日は午後8時までなのでゆっくり3時頃にご到着、覚悟はしていたものの10分~20分は並んで待ちました。
案内の人の話では、さっきに比べて空きました、とのこと。。。
それにしても、どっから集まるのか人・人・人・・・
入場するやいなや、人をかき分けかき分け奥へ進み、まずフェルメールの絵をめざした。
ところがやっぱりそこは黒山の人だかり、絵を近くで見れない状況で人の肩越し頭越しに見る始末。
フェルメールの絵って、今回展示されてる初期の宗教画と神話画の2枚以外はサイズが小さめ。
「ヴァージナルの前に座る女」なんてほうとうに小さく、A4サイズあるかないか。
おまけに照明が暗めなので、よっぽど近づかないと良く見えない。
今回たった2点しかない風景画のうちの1点「小道」が出品され話題を集めているようだが、これがもしフェルメール作ではなかったらどーなのか?とふと思う。
やっぱりフェルメールは、室内の人物を描いたいわゆる風俗画がネウチで、さらに言えば、女性一人の絵の中の私の好きな絵が、今回一枚もなかったのが残念である。
ま、強いて言うなら、今回展示の7作品中「絵画芸術」に替えて出品された「手紙を書く婦人と召使い」が私的には一番好きだった。(上のチラシの絵)
さて、今回はフェルメール以外に、デルフト派?の他の画家の作品も展示されているので、今度は入り口に逆戻り、とくと拝見することにした。
私が一番知りたく興味を覚えたのは、「フェルメールあんただけがなぜモテる?」ってことで、他の画家との違いを発見するべく見て廻った。
ま、私は美術評論家ではなくただの愛好家に過ぎず、おまけに、フェルメールの熱烈ファンでもないのであるが、このフェルメール人気はなんでや~!と不思議に思うのである。
たしかに、フェルメールの絵は光と影がくっきりしており、「光の魔術師」と呼ばれる所以である。
また、彼の描く風俗画は、風俗画と呼ぶにはあまりに静謐で人物の内面に迫り、宗教画ではないにもかかわらずどこか宗教的で、ある精神性を感じさせる。
そのうえ寡作で、絵も生涯も謎めいている、ってところが人々の好奇心と興味をそそるのではないでしょーか?
せっかく8時までなのになぜか疲れ、暮れゆく上野公園をそぞろ歩き、ホテルへと向かったのでした。