ひとりあそび


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「リトル ターン」&「ロスト ターン」

「かもめのジョナサン」は五木寛之訳、しかも本人曰く「創訳」であるという。
同じ五木寛之訳の「リトル ターン」と「ロスト ターン」は、「創訳」ならぬ「想訳」だという。
その想訳という2冊の本(絵本)を、カモメのジョナサンで思い出したのだった。
c0026824_16211063.png

どちらも主人公はコアジサシという海鳥なのだが、残念ながら私は知らない。
「リトル ターン」は、一羽のコアジサシがある日突然飛べなくなってしまう、というおはなし。
しかもその原因は自分の外部にあるのではなく内面にあるのだと気づく。
その日から、彼のたったひとりぼっちの孤独な旅が始まる。

その旅の途中で彼はいろんなものに出会うのだが、なかでもゴースト・クラブ(ゆうれいガニ)との出会いは、まるで星の王子さまがキツネに出会った時のように大きな意味を持つ。
ゴースト・クラブは言う。
「きみは飛ぶ能力を失ったんじゃない。ただどこかに置き忘れただけだ」
「捜しだすには、丹念に注意をはらって、気づかなかったことに気づくことだよ」

ある朝、彼は偶然自分の影の存在に気づく。
そして「鳥は、その羽や翼がどれほど価値があり素晴らしいかを知らなければ、本当に飛ぶことはできないのだ」と知る。

「ロスト ターン」は、迷子になったターン(コアジサシ)の出会いと冒険。
ある嵐の日、その嵐の中に一羽のターンが理由もなく飛び込み、嵐と共に未知の場所に運ばれる。
自分の居場所を失った孤独な一羽のターン、彼が出会ったのは海の上の一隻の漁船、その船上にいるひとりの老人、嵐の夜、落雷で家も家族もすべて喪い、生きる希望さえ失くした老人だった。

絶望した老人と迷子のターンは、いつしかこころを通わせていく。
老人のことば。
「この世界に存在するものは、一瞬として同じままではない」
また「この世で価値あるものは、それは永遠に手に入れることができないような世界なんだよ。現実に所有できるものは、すべて簡単に失われてしまう」

2冊とも喪失と再生の物語、孤独な旅と不思議な出会いの物語、である。
そして、淡い水彩画の挿し絵がうつくしく、とってもステキ。
オトナの絵本としてオススメです。
by fu-minblog | 2014-07-07 18:13 | | Comments(0)

「かもめのジョナサン 完成版」

初めて「かもめのジョナサン」に出合ってから40年の歳月が流れている。
私にとっては、さいしょ読んだ時の不思議な印象が、ずっと変わらない謎に満ちた本である。
c0026824_1812699.png

その「かもめのジョナサン」が、この度完成版というかたちで出版された。
実は、40年前の本が未完であったことすら私は知らなかったのである。

今回、その完成版なるものを、もちろん最初から読んでみたのだが、謎は深まるばかり。
追加された最終章はジョナサン亡きあとの世界が描かれている。
あまりに哲学的っていうか、宗教的でさえあり、「星の王子さま」のように何度も読まないといけないのかもしれない。

かもめにとっての飛ぶことは、人間にとっての生きることである。
ひたすら孤高に飛ぶことを突き詰めていったジョナサン、人の世にもジョナサンはいるのか。
そして、作者リチャード・バックが伝えたかったことは?

最終章が追加されただけで、あとは、私の大好きなモノトーンのかもめの写真もすべて同じである。
なので、古い本をもっている者にとっては、ちょっともったいない気がしないでもない。
by fu-minblog | 2014-07-03 19:22 | | Comments(0)

「レオ・レオーニ 希望の絵本をつくる人」

「レオ・レオーニ 希望の絵本をつくる人」という本も、先日ぐうぜん図書館で見つけた。
たまに、こんな思いがけないラッキーな出会いがあると、ホントうれしい。
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レオ・レオーニについては、叔母からプレゼントされた「あおくんときいろちゃん」以来、40年くらいの付き合いである。そのレオ・レオーニの主に晩年の様子が書かれているのだが、かなり進行したパーキンソン病にも拘らず、創作意欲はけっして衰えることはなかったという。1999年10月12日89歳で永眠されるまで変わることなく。

私が昨年12月「えき」KYOTOで観た「レオ・レオニ絵本のしごと」展が、今も国内を巡回しているようである。けれどこの本では、1996年~97年にかけて日本で開かれた展覧会に際して、著者松岡希代子氏とレオ・レオーニとの交流が描かれている。が、残念ながら、その展覧会を私は観ていない。

晩年は、1年のうち、春から秋はイタリア・トスカーナで過ごし、冬はニューヨークのアパートメント、という生活だったようである。自宅とアトリエのあるトスカーナ・ボルチニアーノで、自分の作品に囲まれた中で制作はされていた。

「あおくんときいろちゃん」がそうであるように、レオ・レオーニの絵本はどこか哲学的である。それは、「わたしにとっては、おのれとは何者かを知ることが、もっとも根本的問題です」という彼自身の言葉にもあらわれている。

古い「あおくんときいろちゃん」と「フレデリック」は未だに行方不明なのだが、あらたに「あおくんときいろちゃん」を買いに行ったついでに、「じぶんだけの いろ」を見つけて買ってしまった。自分固有の色がないカメレオンが、じぶんだけのいろをさがすお話である。

この本の最期は「レオと出会うことができて幸せだった。ありがとう、レオ!」という言葉で結ばれている。私もまた「あおくんときいろちゃん」に出会うことができて幸せだった。ありがとう、レオ!と言いたい。

「レオ・レオニ絵本のしごと」展にかんしてはコチラ
by fu-minblog | 2013-07-11 17:19 | | Comments(0)

星の王子さまとサン=テグジュペリ

先日、たまたま図書館の新刊コーナーで「星の王子さまとサン=テグジュペリ」という本を見つけた。面白そうなので借りて帰り、さっそく読み始めるとすぐに読み終えた。

折しも明日は七夕、ってことは今日は七夕イブ?なんてかこつけて、星の王子さまを懲りずに読んだ。私は、好きな本は再読はおろか再再読もするのだが、星の王子さまほど何回も読むのも珍しい。


c0026824_17433383.jpg私にとって今までサン=テグジュペリは星の王子さまの作者でしかなかった。もちろん、彼がパイロットとして生き、第二次世界大戦でパイロットとして飛び立ったまま帰らぬ人となったことは知っていた。

星の王子さまでも、語り手はパイロットだし、王子さまも遠い星からやってきた少年である。星の王子さまという物語は、空を愛し、宇宙を飛行するパイロットという目線抜きでは語れない。そして、それはサン=テグジュペリのすべての作品、「夜間飛行」「人間の土地」「戦う操縦士」などにも貫かれている。

これは、作家としては非常に珍しいことではないか、と思う。サン=テグジュペリはただひとつ、パイロットという仕事を通して世界を見ていた。あるいは、真実を探求していた。そしてこのことはまさしく、星の王子さまが教えてくれる一番大切なことだったのである。


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今回は今までの訳者ではない文庫本で読んでみた。なぜなら、同じ文庫の「夜間飛行」があったからである。星の王子さまは読むたび印象が変わり、新しい発見があるのだが、今回もそれは変わらなかった。ナント!今までとは全く違ったのである。

一番心に残ったことは、大切なものはたった一つでよい、ということだった。王子さまのたった一つの大切なもの、それは自分の星の一本のバラの花である。なぜなら、王子さまはその花と深いかかわりを持ったからである。王子さまが一輪の花に誠実さと責任を持ったからである。

ひとはそのように、深くかかわったものしか、ほんとうには愛することはできないのではないだろうか。たとえば人間関係にしても、数の多さではなく質と深さである、と私は思う。私は、人類を愛することなどできない。私はただ、自分と何らかのかかわりを持ち、心が触れ合ったひとしか愛することはできないし、そのひとのためにしか死ぬことはできない。

「大切なことは、目には見えない」など、星の王子さまの中には、珠玉のことばが星のようにちりばめられている。そして、王子さまは語り手のもとから去ってゆく。私たちもまた、そうやっていつか大切なひとと別れなければならない。けれど、夜空に輝く小さな星の中で彼らはきっと生きているのだ。星の王子さまのように。。。

「夜間飛行」はこれから読みます。
by fu-minblog | 2013-07-06 19:10 | | Comments(2)

「あおくんときいろちゃん」

行方不明の本がめでたく見つかった!と言いたいところですが、まだ出てきません。
仕方なく、昨日丸善で買いました。
でもよくよく考えたら、私が「あおくんときいろちゃん」を自分のために買ったのは初めてです。

c0026824_1130086.jpg


そこで記念にってわけでもないけど、自分の一番好きな絵本のことをUPしておこうと思った次第。
今までしてなかったのが不思議なくらいなもんで・・・

「あおくんときいろちゃん」は、もうすでに第一線で活躍するグラフィック・デザイナーだったレオ・レオニの初めての絵本です。
しかも、孫たちの目の前で、即興的に偶然生まれたといいます。

落書きのように紙に色を置いただけのまるで抽象画のようなこの絵本は、彼のデザイナーとしてのセンスのよさが窺えます。
しかしそれだけではない、ふかい意味が感じられます。

レオ・レオニの絵本の多くは、自分とは何なのか、自分と他(人)との違いについて、それでも共生する大切さについて書かれています。
その出発点となったのが、この「あおくんときいろちゃん」だと私は思っています。

行方不明の古い「あおくんときいろちゃん」、「フレデリック」との再会を信じて!
by fu-minblog | 2012-12-23 12:08 | | Comments(2)

「レオ・レオニ 絵本のしごと」

昨日急に思い立って、美術館「えき」KYOTOへ「レオ・レオニ 絵本のしごと」を観に行った。
美術館「えき」はその名のとおり、京都駅の上にあり行くのがとても便利。
また、あまり大きくはないが興味ある展覧会をするので、私のお気に入りの一つ。

c0026824_1134124.jpg


レオ・レオニの絵本は、日本ではほとんど谷川俊太郎訳で出版されており、国語の教科書にも載っているようである。
今回は、コラージュ、油彩、水彩、クレヨン、色鉛筆などを用いたカラフルな絵本の原画約100点。
ほかに、メキシコで魅せられた仮面シリーズ、幻想と空想から生まれた平行植物など油彩や版画、彫刻作品も展示されている。

しかし、私にとってのレオ・レオニはやはり「あおくんきいろちゃん」なのである。
孫たちのために即興で作ったという記念すべき1作目、彼の絵本作家としてのデビュー作となる。
この色だけで表現したシンプルな絵本は、子どもの絵本に抽象概念を初めてもたらし、何千何万の言葉を連ねた哲学書にも匹敵するくらい内容はふかい。
それを、子どもは子どもなりに、大人は大人なりに理解するのである。

次に好きなのはやっぱり以前ブログ記事にしたこともある「フレデリック」。
この世で実際の役に立たない物(たとえば芸術)の大切さを教えてくれる。
しかも、さりげないところがよく、あまり教訓的でないのが私は好きである。

「フレデリック」はなぜかフランクル著「夜と霧」の一節「繊細な性質の人間がしばしば頑丈な身体の人々よりも収容所生活をよりよく耐え得た」を思い出す。
あるいは、「人間にとって一番大切なのは空想すること」という野口晴哉氏の言葉を思い出す。

ところが、この私の大切な大切な絵本が、昨日家に帰って観ようとしたら行方不明。
本に翅が生えて何処かへ飛んでいってしまったのだろうか?
by fu-minblog | 2012-12-20 11:02 | 美術工芸 | Comments(0)

テレビde「星の王子さま」

c0026824_189422.jpg今月のEテレ100分de名著は「星の王子さま」で、その第1回目の放送が昨夜あった。
とはいえ夜の11時始まりというこの番組、最近は9時には布団のなか、10時には夢のなかという日々なので、モチロン録画である。

今日その録画を見たついでに?何度も読んだこの本をまたまた読んだ。
私は実は、「星の王子さま」を初めて読んだのは、もう大人になってからである。
そして、歳を経るにつれ読む回数がなぜか増えているのである。

そのわけは、献辞にも書かれているように、これは子どものためではなく、かって子どもだったおとなのために書かれた物語だからかもしれない。
たとえ括弧つきで、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない、と書かれているにしても…
c0026824_193045.jpg
以前にも同じことを言ったような気もするが、何度読んでも飽きず、読むたび印象が違う不思議な本である。
それ故、「夜と霧」とともに私の三冊の本に選んだことがあるのだが、それは今でも変わらない。

正直言うと、「星の王子さま」をあまり解説や解釈はしてほしくないのもほんとうである。
と言いつつ、やっぱり見ずにはいられない、それほど私にとっては大切な本なのである。

今回は、岩波書店オリジナル版を読んだのだが、サン=テグジュベリ自身の描いた挿し絵が愉しい。

今年最後の月に、こうして星の王子さまに出会えたことはうれしく、しあわせなことである。
by fu-minblog | 2012-12-06 19:33 | | Comments(0)

「怪物はささやく」

c0026824_9312679.jpg本屋の店頭に並べられた色とりどりの本のなかで、ひときわ不気味なモノクロの表紙が異彩を放っていた。それが気になって読む気になった。

中学生向きの課題図書になっているのは、主人公が13歳の少年だからなのか?
コナー・オマリーには、13歳の少年にとっては、重すぎる人生の問題がのしかかっている。
その⒈ 両親の離婚。
その⒉ 母親の重い病気。
その⒊ 学校でのいじめ。
その⒋ 祖母とのあつれき。

しかし、それだけではなかった。
まづ、夜ごと彼を恐怖におとしいれ、うなされる悪夢。さらに、深夜12:07になると現れる怪物。怪物はイチイの木の姿をしているのだった。

怪物はコナーに三つの物語を話して聞かせる。
そして、四つ目の物語をコナー自身に語るよう要求するのである。

なぜ怪物はやってくるのか、なぜ物語を話すのか、いったい怪物の正体とは何なのか、と思う間もなく読み進み、一気にラストを迎えてしまう。
そして、怪物が12:07に現れたわけを知るのである。

コナーが誰にも言えず胸の奥に抱え込んでいたひみつ、その真実を怪物に話すことによって彼はやっと悪夢から解放される。
ヒトは自分自身にも嘘をつくことを、善でも悪でもないヒトの複雑さを、教えられて。

この物語は、原案をシヴォーン・ダウド、書き上げたのはパトリック・ネスという作家である。
しかも、シヴォーン・ダウドは癌のため、構想のメモを残したまま亡くなっている。

そのせいか、コナーを苦しめた悪夢の正体が、死の恐怖、とくに、自分にとって一番大切な人の死への恐怖もあるような気がしたのは、私だけだろうか。

ちなみに、私が気に入ったイラストレーターは、ジム・ケイという人だそうである。
by fu-minblog | 2012-09-05 11:18 | | Comments(0)

「せいめいのれきし」

先日、福岡伸一著「せいめいのはなし」という対談集を読んだ。
対談の相手は、内田樹、川上弘美、朝吹真理子、養老猛司の4人である。
そのうち、朝吹真理子との対談で「せいめいのれきし」という絵本のことが出てきた。

なんでも、「せいめいのれきし」は福岡ハカセにとって、少年時代からのバイブルだという。
「せいめいのはなし」と題されたこの本は、さいごに、謙辞 バートンの黄色い本に、とある。
「せいめいのれきし」へのオマージュとして語り合ったとまでいう。
読んだことのない私には、いったいどんな絵本なのか興味がふつふつと湧いてきたのである。

c0026824_9411856.jpg


「せいめいのれきし」は、アメリカの絵本作家バージニア・リー・バートン作、いしいももこ訳である。
地球じょうにせいめいがうまれたときから、いままでのおはなし、とあるように太陽が生まれ、地球が生まれ、生命が生まれ、やがて人間が登場し、そして自分自身へとつながってゆくという壮大な物語である。

その歴史が5幕の劇仕立てで語られ、本を開くと右ベージが舞台のイラスト、左ページにナレーターの説明が綴られている。
そのイラストがどれもすばらしく、イラストを見るだけでも愉しい。
もちろん、子ども向けに書かれているのだが、大人が見ても十分面白い。

ただ、この本が書かれてから約半世紀が経ち、内容的には少々変わってはいると思う。
それでも、せいめいのれきしとしての大きな流れや、せいめいとは何かを知るうえではなんら支障はない。
こんな絵本に、人生の早い時期に出会えた人はさいわいである。

よく人を理系と文系に分けたりするが、それは違うのではないか、とずっと思ってきた。
この絵本を読んで、その思いをますます強くしたのだった。
by fu-minblog | 2012-05-17 11:11 | | Comments(0)

2冊の志村ふくみさんの本

自分がなにか目指している道があるとき、その道を極めた人を勝手に師と仰ぐことがある。
たとえ、実際に師事したことはないばかりか、会ったことさえないその人を。
そして、自分がその道から離れてしまっても尚綿々と・・・
私にとっては、染織家志村ふくみさんがまさしくその人である。

そんな心の師志村ふくみさんの2冊の新刊が、今私の手元にあるのは偶然なのか必然なのか。
人生は不思議と言えば不思議、偶然と必然の境目はあいまいなのである。
ある日、偶さか知人に会い、偶さか志村さんの話になり、偶さか志村さんの新しい本のことを知った。
そしてその本を前に、私の中では過去が現実となり、現在は実体のない夢幻であるかのようである。

c0026824_17275561.jpg


「しむらのいろ」は、志村ふくみ・洋子母娘の作品を、写真家大石芳野さんが撮り下ろした写真集なのだが、三人のコラボレーションとでも言ったらいいのか。
私は実は、別に志村ふくみさんの作品集を持っていて、それは私の大切な宝物である。

この「しむらのいろ」は、着物を衣桁に掛けて写真が撮ってあるわけではないので、着物そのもというよりは、その着物の持つ物語や世界を、ひいては二人の女性の人生までもをも露わにする。
一つ一つの作品に添えられた作者の文章がまた、味わい深い。

「美紗姫物語」は、随筆の名手としても名高い志村ふくみさんの創作童話である。
しかも書かれたのは、今から60余年前の戦時中のことである。
その和紙に毛筆で書かれた物語が今甦ったのは、奇跡と言うほかない。

そんな奇跡の物語が、山室眞二氏の薯版の挿絵が各ページに入ったうつくしい絵本になった。
薯版の挿絵というのも珍しく、シンプルな絵柄と淡い色合いが、物語によく似合う。
染織家としても、文筆家としても、志村さんは私にとってやっぱり神さまみたいな人なのだった。
by fu-minblog | 2011-05-05 19:05 | | Comments(0)


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