今日で8月も終わり、イヨイヨ夏休みも終わりです。
今年の夏は暑さと乾燥にウンザリだったのですが、例年にない速さで一気に秋になった感じです。
鬱陶しい空模様かと思えばスコールみたいな雨の何日間が過ぎ、今日久しぶりに青空が頭上いっぱいに広がりました。
8月は毎年、何とはなしに戦争について考えさせられるワケですが、今年は戦争の証言記録のテレビ番組をいくつか見る機会がありました。
実際に戦争を体験したした人たちの証言は、ずっしりと重く、やはり説得力があります。
戦場で無残に死んでいった者の無念さは勿論ですが、生き残った者や残された家族は、ひょっとしたらもっと辛いのかもしれません。
体験者のその重い口から語られるのは、南方戦線における戦死者の半分以上が餓死や病死であり、自爆や自死であった事実です。
武器も食料も補給を絶たれた戦場は、さながら生き地獄であったといいます。
そして、彼らをそんな生き地獄に追い込んだのは、敵である連合軍というよりは、味方であるべき日本軍の上層部、その無知無策によるズサンな作戦であったことが分かります。
私は、慰霊祭などでよく言われる、日本の戦後の繁栄は戦没者の尊い犠牲の上にある、という
言い草にいつも疑問を感じています。
尊い犠牲などと言うには、あまりに多すぎる命が、まるで虫けらのように見捨てられたからです。
戦後の日本の繁栄をいうなら、理由はただ一つ、日本が戦争をしなかったからだと私は思います。
戦争が殺し合いであるなら、戦場での兵士は殺すか殺されるか、加害者になるか被害者になるかのどちらかなのです。
人間を人間ではなくするのが、戦争というものなのです。
戦争体験者の証言は、私たち戦争を知らない人間にとっては、何よりの戦争を知る貴重な手がかりであり、戦争の真実の姿を伝えてくれるのでした。
城山三郎著「指揮官たちの特攻・幸福は花びらのごとく」の一節です。
「二十歳前後までの人生の幸福とは、花びらのように可愛く、また、はかない。
その一方、かけがえのない人を失った悲しみは強く、また永い。
花びらのような幸福は、花びらより早く散り、枯れ枝の悲しみだけが永く永く残る。
それが、戦争というものではないだろうか。」
私の今年の夏も終わりです。