昨日は、狂気の殺人鬼「スウィーニー・トッド」の映画、今日は父と娘の禁断の愛を描いた小説「私の男」と、少々インモラルな作品が続きますが・・・
実はこの本ちょっと読んでみたくなり、刺激的な題名と装丁の本を昨秋本屋で手にとってはみたものの、やぱり図書館で借りよと思いつつ、そのままになっていました。
ところが先日、第138回直木賞を受賞してしまい、図書館は諦めて即購入、読みました。
この作者の作品を読むのは初めてですが、最後まで一気に読ませる筆力は、十分あります。
内容にかんしては賛否両論あるかと思いますが、人間の悪や闇をあぶり出すのもまた、文学のひとつの役割といえます。
時代が順に遡るという手法をとっていて、ちょっと戸惑う場面もありますが、最後に明かされる真相に、あっと驚く仕掛けです。
時代が相前後するハナシはよくありますが、順に行儀良く遡る、というのは小説では初めてかも。
映画では「ペパーミント・キャンディー」が思い出されるのですが・・・
語り手が各章で変わってゆき、6章のうち半分の3章が主人公「花」という娘になっているのですが、やはり作者にとっては感情移入しやすかったのかも・・・
その分、父親の語りの章が1章しかなく、この男の内面がイマイチ描けていないのは、まだ若い作者の限界かな、とも思います。
この小説では、父と娘の近親相姦という極端なカタチをとっているワケですが、家族とは何か、血縁とは何か、血の繋がりとは何かを、問われます。
父親である男は、異常に血へのこだわりが強いのですが、私の印象では、ひょっとしたら、それは作者にもいえるのかも・・・
この問題にかんしては、誰もがいつかは悩み考えた経験があるのでは?と思います。
私は、「血は通っても心は通わぬ!」というハムレットの叫びに共感した人間で、血は、どちらかといえば、鬱陶しく、煩わしくさえ感じます。
また、この小説が現実感に乏しいかといえば(二つの殺人も含めて)決してそうではなく、現実の社会を見れば、父の娘への性的虐待もあり、そこまでゆかなくても、ある瞬間娘を女として見た経験のある父親は、少なからずいるのではないでしょうか。
人間は必ずしも理性や道徳に従って生きているとは限らず、時には本能や衝動に突き動かされてしまうものであり、実に不条理な存在なのです。
そして、そこから目をそらさないことこそ、重要なのではないでしょうか。
この小説全体に流れる暗く湿った空気、そして饐えた臭いがミョーにエロティックな一冊です。