昨日急に時間が空いたので、見たかった映画「三度目の殺人」を見に行った。
実は、「誰も知らない」以来私は是枝監督の映画はできるだけ見るようにしている。
ただ、家族を描いた作品よりも、「誰も知らない」「空気人形」が殊の外好き。
さて、この「三度目の殺人」も、是枝映画のある意味代表作だと思った。
非常に実験的な作品であること、にもかかわらず是枝色が濃厚に出ているように思う。
映画は初めから終わりまで、ピンと張りつめた空気、緊張感に包まれていた。
たぶん、これほど集中してその世界に引き込まれる映画も少ないのではないか。
そして終映後に残される、突き放されたような、モヤモヤした想い。
私は誰かと語り合いたいというよりは、一人でじっくり考えたい、という想いが強かった。
そして一晩経った今、何となく自分なりに整理がつき始めたような気がする。
けれどその答えは、観客一人ひとり皆違うものであることは間違いないだろう。
監督曰く、この映画は「神の目線を持たない法廷劇」ということなので真実は誰にも分からない。
ただ、私的には前科のある殺人犯の二度目の殺人が今回の殺人とするならば、三度目の殺人とは自分自身を殺すこと(死刑)、のような気がするのである。
殺人犯と弁護士という立場も、その生い立ちも歩んだ人生も全く相反する二人の男が、映像のせいもあるが、だんだんダブって見えてくるのは不思議だった。
何が悪で何が善なのか、根っからの悪人はいるのか、あるいは、一人の人間に存在する悪と善等など・・・
あと裁判のことなど、問題提起の多い映画ではありました。
追記
ほんとはもっと丁寧に書きたかったのですが、今日はパソコンが怪しいので、記事が消失する前に早々にUPしました。アシカラズ