第152回芥川賞受賞作品「九年前の祈り」を久しぶりの文芸春秋で読んだ。
実は単行本を図書館で借りようとしたら、100人位の予約があったのである。
それに、作者には悪いけど、文春だと他の記事も読めるので・・・
読み易い文章(金井美恵子を読んだ後なのでなおさら)なのですぐに読めるのだが、印象もうすい。
30代のシングルマザーさなえが、幼い息子を連れて故郷の海辺の小さな集落に帰ってくる。
美しい顔立ちの息子はカナダ人とのハーフなのだが、何かのキッカケで引きちぎられたミミズのようにのたうちまわり泣きわめく子供でもあった。
偶々母から聴いた渡辺ミツの息子の病気の話しから、さなえは九年前のある出来事を思い出す。
九年前、さなえは地元の女性(親子ほども年上の)7人とカナダへ旅行をした。
その中の一人みっちゃん姉こと渡辺ミツのことは、さなえの記憶の中で鮮明に残っていた。
九年前と同じつないでいた手を放すという行為から、過去は現在に重なり、難しい母と子の関係をときほぐしていく?
これは母と子の物語なのかもしれないが、私には過去の記憶の物語でもある。
過去の記憶は、それが記憶として蘇るときはいつも現在なのである。
記憶に過去はなく、現在は過去の記憶とともにあるのではないだろうか。
会話が方言なのはいいが、方言といえば田中慎弥の「共喰い」の方が印象的。
また、ぐずる子供の表現として、引きちぎられたミミズ、というのは、子どもを育てた経験者には違和感が拭えない。
もっとほかに例えようがないものかと、考えたら寝られなくなりそうなので考えない。