この本はちょっと前、真夜中の読書で一気に読んでいた。
「世界から猫が消えたなら」と同じく、読み易く、すぐに読み終わり、そのままになっていた。
それが、今回の芥川賞候補になりへええ!と思ったのだが、受賞には至らなかった。
昨日、出かけるつもりが出そびれでしまったので時間が空き、再読することにした。
東日本大震災をテーマにしてはいるのだが、想像ラジオのDJの軽妙なおしゃべりで話がすすむ。この物語の登場者はほとんどが死者と生と死の間を彷徨うもので、生者はときどき現れる程度。いえ、生と死が混然一体となっているともいえる。
人は必ず死ぬ。けれど生きて死を体験した人は一人もいない。ゆえに死は想像するしかないのである。とくに、ある日突然、しかも理不尽に大勢の人が命を落とす事態を前にすると、私たちはどう受け入れるべきか戸惑うばかりなのである。
生とは何か、死とは何かは哲学的宗教的課題だが、実感としてはあまり変わらないような気もするのである。生と死は隣り合わせ、あるいは裏表なのではないか、とも思う。つまり、生はその中に必ず死を含んでいるものである。
私たちが他人の死についてできることは、想像することだけかもしれない。
あるいは、他人の悲しみや痛みについても、たとえ共感はできなくても想像することは・・・
想像ラジオのDJが紹介する約10曲のナンバー、どんな曲かぜんぶ聴いてみたい気がする。
この本を読んでふと、思った。
私にとって死とはおともだちみたいなもんではないか、と。
それも、いちばん長い、いちばん親しいおともだち。