予約したり並んだりはしないけど、たまたま本屋にあったらやっぱり買わずにはいられない。
何を隠そう、熱烈とまではゆかないが、それなりにファンである。
どれくらいか?というと、長編小説すべてと、あと短編、エッセー、ノンフィクション、翻訳を数篇読んでるくらい。
そんなファンにとっては、新刊がでるたび社会現象になるのは、不思議を通り越して迷惑である。
じつは昨日の午後から読みはじめ、珍しく夜更かしして読み終わった。
「1Q84」はちょっとええっ!?と思ったが、こちらはいつもの村上ワールドというか、長さも適当。
しかも、「ねじまき鳥クロニクル」や「海辺のカフカ」より読み易く解り易い。
震災後の本ということで、何か新境地を期待するとそれは肩すかしを喰うことになる。
意外にも、この不思議なタイトルが、すべて意味があり物語の内容にかかわっている。
多崎つくる以外の登場人物にはほとんど姓に色が入っていて、文字通りつくるは色彩を持たない。
色彩を持たない多崎つくるは、自分が個性のない空っぽの人間であるかのように感じる。
巡礼の年とはフランツ・リストのピアノ曲集のことで、多崎つくるの巡礼の旅と重なる、という具合。
16年前自分の身に降りかかった突然の理不尽な出来事、死ぬことだけを考えた数ヶ月。
やがて死から生還した彼は、まるで別人のような相貌に変わっていた。
36歳になり、鉄道会社の駅舎の設計エンジニアとなった彼は、ある女性の「記憶は隠すことができても、歴史を変えることは出来ない」という言葉に触発され、過去に向き合う巡礼の旅に出る。
それは、真実と向き合う旅でもあった・・・・・
そして、「人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない」ことに気付く。
今つくづく、村上春樹の本の感想って難しい~!って思います。