イヨイヨ夏休みも終盤、宿題がまだ終わってない者にとってはユーウツな時期ではある。
そんな昔を思い出しつつ、私も宿題?を片付けようとて・・・
「本格小説」のあと、2冊の「夜と霧」で中断していた水村美苗の小説を読み終わった。
これで単行本になった作品は、ほぼ全作読んだことになるのではないだろうか。
「私小説」という題名のこの小説は水村姉妹の電話の会話が延々と続くのである。父の仕事でアメリカで暮らすことを余儀なくされた姉妹の20年間の思いが次から次へと語られる。
一見アメリカという地に馴染みアメリカナイズされた姉奈苗は、しばしば会話に英語が混じる。一方、アメリカを頑なに拒み日本語に執着する妹美苗は、日本語で小説を書くことを目指す。
「from left to right」と副題の付けられているように、英語混じりの横書きという実験的な試みがなされている。その試みが成功か否かはおくとして、やっぱり違和感は感じざるをえない。
そしてなにより、美苗がなぜそこまで日本語に、あるいは日本文学に、しかも近代日本文学に強い愛着を持つのかが不思議だった。
しかし、「續明暗」を読むやいなや、そんな気持ちは吹っ飛んだのだった。彼女の日本語への拘り、日本文学への強い思いが見事に結実していたのである。
「續明暗」は、夏目漱石の未完の小説「明暗」を、大胆不敵にも水村美苗流に完成させたものである。私はまづ漱石の「明暗」から読まねばならなかった。
しかし、はっきりいって、私には漱石の小説を読むのはかなりの努力が要る。正直、辛気臭いのである。
ところが、何日かかけてやっと漱石の「明暗」を読み終え、水村美苗著「續明暗」を手に取ったとたんアレヨアレヨという間に一気に読み終えたのだった。いったいこの違いはなんなのか。
「續明暗」は、漱石がさも書きそうな文章で、しかも旧仮名遣いで書かれていてやたらルビが多い。それでも、やっぱり水村美苗の文章力は生きているのである。あるいは、私の文章に対する好き嫌いが少なからず影響しているのかもしれないのだが・・・
小説の結末としては、漱石の思惑は知る由もないが、もともと一組の夫婦をめぐるゴタゴタなので、それほど大きな違いはないような気もするのである。また、私的には誰一人として感情移入できる人物もいないのであった。
それにしても、水村美苗おそるべし。