さいきん、新刊を買うだけでは間に合わず、図書館で本を何冊か借りておく。
書棚から、目についた本をわりとテキトーに選んでくるのである。
期限が来て読まずに返すこともあるし、読む本がなくなったとき読んだりする。
萩原葉子作「蕁麻の家 三部作」も、図書館から借りた本である。実はもう1冊、同じ作者の「ダンスで蘇った生きる喜び」というエッセイ集も借りていて、先にそちらを読んだ。
「蕁麻の家 三部作」は、 「蕁麻の家」(1976年)、「閉ざされた庭」(1984年)、「輪廻の暦」(1997年)と別々に発表された作品を1冊にまとめたもので、かなりぶ厚い本である。ところが、読みだすと止まらなくなり一気に読んでしまった。
萩原葉子さんは、日本を代表する詩人萩原朔太郎の長女であり、私にとっては「出発に年齢はない」という忘れられない言葉を残した人である。また、以前「
死んだら何を書いてもいいわ」という息子である萩原朔美氏の本を読んでいる。しかし、萩原葉子さん自身の作品は、今回初めて読んだ。
「蕁麻の家 三部作」は、小説のかたちをとってはいるが、萩原葉子の自伝といえる。私小説のように一人称ではなく三人称で書かれてはいるが、自分の体験、あるいは人生そのものが、克明に記されている。そして、その壮絶ともいえる人生に、言葉を失うのだった。
「蕁麻の家」は、幼少の頃から22歳で父朔太郎を亡くすまでが書かれている。葉子9歳のとき両親が離婚、というより母が年下の男と幼い姉妹を棄てて出てゆくのである。その後祖母に育てられるのだが、徹底的に苛められるのである。今ならまさしく児童虐待、父朔太郎はネグレクトといったところだろうか。あげく、朔太郎の死後、財産分与も一切なく家を追い出されてしまう。
「閉ざされた庭」は、24歳で結婚、10年間の結婚生活の後離婚するまでの間の話である。結婚もまた彼女に幸福を齎すことはなく、離婚することがが唯一の希望となってしまう。ただ一つ、長男を出産、その存在だけが救いのような生活であった。
「輪廻の暦」は、念願の離婚がやっと叶い、息子との新しい生活が始まるのだが、結婚時代から引き取った知恵おくれの妹ばかりか、自分を棄てた母親まで探し出して面倒をみることになる。離婚後37歳にして初めて父朔太郎の思い出を書いた文章が認められ、作家として遅いスタートを切ったのだった。
しかし、今度は母と妹、特にわがままな母に悩まされ続けることになる。そしてそれは、彼女が61歳、母の死によってようやく終わりを告げる。つまり、彼女はずっと家族によって苦しめられ、不幸のどん底に突き落とされるのだ。いったい家族とは何なのか、とさえ思ってしまう。
やっと家族から解放され、その後ダンススタジオ付きの家を建て、ダンスに熱中するばかりか、オブジェも創るようになり、書いて、創って、踊る生活を満喫するようになる。60代は彼女にとって、初めて手に入れた自由であり、青春なのだった。驚くべきことに、70歳を過ぎてハードで難度の高いダンス、アクロバットデュエットにも挑戦する。
そんな萩原葉子さんだからこそ、「出発に年齢はない」という言葉が生まれたのだ。そして、萩原葉子さんだからこそ相応しい言葉なのだ、と今実感する。私ごときが使えるような、いえ、使ってははいけない言葉だったのだ。
余談ではあるが、本の表紙には田中恭吉の版画が使われている。私は好きで作品集を持っているのだが、その画集の帯に萩原朔太郎の文章がある。「私は日本人の手に成ったあらゆる芸術の中で、氏の芸術ほど真に生命的な、恐ろしい真実性にふれたものを、他に決して見たことはない」と。