少女の頃より少女趣味ではゼンゼンなく、乙女になってもオトメチックからほど遠い私が、マリー・ローランサンの絵が好きなのはなぜなのか。
今日成羽美術館で、今まで観たことないまとまった数のローランサンの絵を観て、やっぱり好きなものは変わらないんだなと、つくづく思ったのだった。
絵のモチーフのほとんどは女性、それも少女が多いのだが、私はそのセンスのよい色彩が殊の外好きなのである。
どの作品も、華やかななかにも上品で落ち着いた色のハーモニーが、画面全体を統一している。
20世紀初頭、芸術の都として華やかだった頃の巴里の空気が、溢れ出てくるようである。
色のほかに、私には幼児体験というのがあるのかもしれない。
子どもの頃一緒に住んでいた叔母の部屋には、いつもモディリアーニとローランサンの複製画が壁にかかっていて、絵の好きだった叔母に私はあこがれた。
また、高校生の私を、わざわざ倉敷まで大原美術館を観に連れて来てくれたのも、叔母だった。
この展覧会ではローランサンと同時代、巴里に魅せられ巴里で活躍した画家たち、ルオー、ヴラマンク、ドンゲン、ドラン、ヴァラドン・ユトリロ親子、藤田嗣治等の絵も展示されている。
日本画家も児島虎次郎はじめ、佐伯祐三、荻巣高徳、小磯良平、三岸節子、岡鹿之助等など、なつかしい名前が並ぶ。
人の記憶はアイマイである。
ローランサンの幻想的な少女たちのように、記憶は美しすぎる色合いを帯びて心の奥にねむる。
※この展覧会は、世界で唯一のローランサン専門美術館、「マリー・ローランサン美術館」(長野県 茅野市)の閉館にともない、各地巡回にさきがけて成羽美術館で開催されている。