私が高木仁三郎さんの事を知ったのも、本を読んだのもごく最近のことである。
3.11から2ヶ月以上が過ぎ、原発事故は収束するどころか、ますますその深刻な状況が明らかになるばかりだった。
そんな時、何か原発にかんする本を探していて、偶然見つけた。
高木仁三郎さんは、2000年に62歳の若さで、残念ながら不帰の人となられている。
原発の危険性、原発は人類と共存できないことを市民の側から問い続けた科学者であった。
もし、高木さんがご存命であったら、今回の原発事故を知りどんな思いをされただろうか。
あるいは、草場の陰から、どんな思いで見ていられるのだろうか。
この本は、高木仁三郎本人の自叙伝ともいえる。亡くなる2年前に癌が見つかり、その後次々転移と手術を繰り返す中、病床で書かれたものである。
少年時代の様子から科学を志して大学へ、やがて日本原子力事業に就職した時から原子力との長い付き合いがはじまる。その後転職を経て、組織を離れ市民科学者として生きることを決意されたのである。その道のりはけっして平たんなものではなく、数々の試練の連続であった。
高木さんはあくまで、「自立的個人」という立場で行動することにこだわられた。そしていわゆる専門家より、地方の住民の中から多くのことを学んだという。
また子供の頃より読書家で、宮沢賢治の文学ばかりか、その生き様に深く影響を受けている。賢治の「職業芸術家は一度亡びねばならぬ」というのに対して、「職業科学者は一度亡びねばならぬ」とまで言っている。
この本は、死の直前最後の力を振り絞ってテープに残された、いわば遺言である。そうさせたのは、1999年9月にJCOでの臨界事故が起こったことによる。
この本を読むと、原発事故は避けられない、たとえ地震や津波がなくても起こり得るのだと知る。なぜなら、それは人間の制御能力をはるかに超えているからである。ゆえに、原発は人類と共存できないのである。
かてて加えて日本の原子力政策のお粗末さ、「科学という実態もなく、技術という実態もないまま、あるいは産業的基盤もないままに、上からの非常に政治的な思惑によって」なされたという事実。また技術者のモラルの問題等など・・・
私は自分が今まで何も知らず呑気に暮らしていたことが空恐ろしい。そして、無知と無関心こそ最大の罪であることを実感するのだった。
何かが起こってからでは遅すぎるのに、何かが起こらないと気付かない愚かな人間の私は一人であった。しかし、たとえ手遅れにしても、今この本に出会い、高木仁三郎さんのことを知ったことはよかった、とつくづく思う。
ぜひご一読ください。