まず始めに、この小説は文芸春秋で読みました。
心情的には単行本を買いたかったのだけど、とりあえず・・・
でも、この雑誌で読むと、なぜか読み辛いのは慣れてないせいなのか?
なんか、受ける印象まで変わるような気がする。
同じ芥川賞でも、「きことわ」とは全く違う作風で、いわゆる私小説である。
私の場合、世代的にか嗜好的にか、私小説はかなり読んでいる方なのだが、そういえば、最近は作品自体が減ってきているのかもしれない。
作者西村賢太氏は、その私小説に拘り続けている作家のようである。
一つの分野に徹底的に拘り、追求するのは、いってみれば職人気質であり職人技である。
この「苦役列車」も、そんな職人技の作品ではないか、と思われる。
私小説なので実体験が語られるのだが、なかなか構成も巧みである。
日雇い労働者としてしか生きられないダメな自分と、同じ現場で知り合いやがてフツーの生活者となって去ってゆく若い学生が登場する。
しかし、果たしてどちらがどうかは、そう簡単に言える問題ではない、と思う。
主人公の賢太ならぬ貫多のみじめさが、これでもかこれでもかと語られる。
でも、あまり悲壮感がかんじられないのは私だけなのだろうか?
その時代や環境から逃れることはできないが、自分の生き方は自分で選んでいるのである。
たとえば、自由と孤独(孤独死も含めて)を選ぶか、束縛と仲間を選ぶか。。。
そして、私小説というのは、屡々自己の全否定の裏返しの全肯定であることがある、ということを知っておくべきである。