先日サリンジャーが亡くなり、急に懐かしくなり「ライ麦畑でつかまえて」を読む気になった。
この本は今までに2度(10代と30代)で読んでいるので、せっかくなので今回は村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読んでみようと思い立って本屋に行った。
ところがナント!本は売り切れで1冊もないのだった。
ちなみに、別の本屋も同じ状況だった。
仕方なく家に帰って自分ちの本棚を捜して見つかったのがこの本である。
なぜか2度目に読んだときのだが、それでも今や絶版になっているかもしれない。
私は読書にかんしても偏食なので、乱読とはいえ好きな作家は数少ない。
そして、好きな作家の本はたいてい自分ちの本棚にある。
さて、永遠の青春小説といわれるこの本、サスガにどーかな?と思って読み始めたんだけど、面白くて一気に読んだ。
止められなくなり、久しぶりに昨夜遅くまでかかって読み終えた。
おまけに、今までで一番感動したくらいである。
この本を読むのは、高校を退学処分になった16歳のホールデン少年のわずか数日の出来事と心の軌跡が、悪態をつきつつ饒舌に語られるのを聴くことでもある。
そして、悪がったり強がったりしながらも、大人に反抗したり毒づいたりしながらも、生きることの孤独と辛さに打ちのめされそうな少年と向き合うことである。
自分が何者なのかと悩む年頃はたしかにある、と思う。
人はいつまでも子供でいることはできず、やがて大人として社会に出て行くときがくる。
しかし、ホールデンが一番嫌悪し拒否したのは、いわゆる大人の「インチキ」なのだった。
ホールデンは言う。「僕はライ麦畑という子供の世界から転がり落ちそうな子供をつかまえたい」と。
しかし彼はやがて気付く。愛する妹のフィービーが回転木馬に乗るのを見守りながら、
「落ちるときには落ちるんだけど、なんか言っちゃいけないんだ」と。
そして今私は思う。
人は大人になる必要なんかないのかもしれない。
人はただ、自分自身であればいいのではないか、と。