今日思い立って、何年ぶりかで大原美術館に行ってきた。
先日来、なぜか急に大原美術館の絵が無性に観たくなっていたのだった。
なにもはるばる遠くへ行かなくても、すぐ側にリッパな美術館があることを忘れていたワケではないけど、地元に居るとつい有難味が薄れるみたい。
大原美術館の絵は、サスガに大体把握しているので、全部を観なくてもその時自分が観たい絵だけを観る、というぜいたくな観方ができる。
今回は、先週の日曜美術館で採りあげられたマーク・ロスコがたしかあったハズだと思ったのと、私の好きなイヴ・クラインも観たかった。
マーク・ロスコは1点あり、その深い色合に吸い込まれるようだった。
しかし、イヴ・クラインは現在収蔵中で、今度いつ展示されるかもわからないとのことだった。
また、今までいつも観られたゴーギャンの「かぐわしき大地」も、東京のゴーギャン展に貸し出し中で現在は無く、残念だった。
いつものことだけど、急に思いつきで行動するので、シッパイが多い。
でも、なんせ近いので、また行けばいいことだと思うのだった。
大原美術館に初めて来たのは、私がまだ中学か高校生のとき、絵の好きな叔母に連れられて来た。
当時は、まさか自分が倉敷に住むことになろうとは夢にも思わなかったのである。
まこと人の縁とは不思議なものである。
大原美術館は、当時と同じ外観で、当時と同じロダンの彫刻が私を迎えてくれる。
そして今、私は当時と同じ迷子の子供のように、絵に救いを求めているようなのである。