第140回芥川賞受賞作品。フツー芥川賞は文春の発売を待って読むのだが、昨日たまたま本屋で見つけて読みたくなった。今は活字依存症真っ最中であり、週末に備えて本がなくては困る。冷蔵庫に食料品がなくなるより、それは困るのだ。
予想はしていたことだが、「ポトスライムの舟」は半日もかからずに読み終わってしまい、今日はもう1編の「十二月の窓辺」を読み終えた。
さて「ポトスライムの舟」はサラサラ読める厭味のない小説で、それが長所でもあり欠点でもあるのではないか。以前は一癖も二癖もある作品が多かった芥川賞も、だいぶ様変わりしたようである。
29歳の派遣で働く女性が、会社の1年分の給料(163万円)と同額の世界一周クルージングに参加するべく、給料全額を貯蓄しようと決意してからの1年間の日常が、実に淡々と描かれる。
女性は会社以外にも夜は友人の経営するカフェ、週末はパソコン教室の講師のアルバイト、データ入力の内職もしている。つまり、1年間はアルバイト代だけで生活してゆこうというワケで、さいわい彼女には母親と住む家があり、何とか生活を切り詰めれば可能な計画なのであった。
その1年の間には大学仲間の離婚、彼女と娘が転がり込むなどの事件はあるものの、舞台が関西(奈良)で会話が関西弁であるからか、全体に悲壮感は全くなく、突き放したユーモアさえ感じさせる。けっして贅沢はせず、つつましくひたむきに、けれど友情に厚くささやかでも夢を捨てずに生きる主人公はまっこと健気である。
モチロン、これは小説であくまでフィクションであるのだが、この小説世界の現実に対して、またまた悪いクセ、かの老婆心が頭を擡げるのである。
ほんとうにこれでいいのだろうか?
彼女はいちおう大学では何らかの専門分野を学んだハズなのに、会社での仕事は化粧品のキャップを閉める流れ作業に従事している。それもリッパな仕事には違いないが、オーバーに言えば、これは社会の損失、いえ人類の損失ではないのか?
ほんとうにこれでいいのだろうか?
彼女はとにかく働きづめなのである。「時間を金で売っいるような気がする」と時には思うが、まるで何かから逃れるように、働き続けるのだ。そして風邪をこじらせてしまうのだが、若者をこんなに働かせる社会は異常ではないのか?
ほんとうにこれでいいのだろうか?
バブルの時代、ブランド品を買い漁った世代より地に足が着いてずっとマトモだとは思うが、欲望を抑えるというより欲望そのものが希薄であるかのような若者たち、彼らをここまで追い込んだのはいったい何なのだろう?
小説としての良し悪しよりもついそんな疑問に襲われてしまい、アカン!時代に付いてけへんのとちゃうやろか?とシンパイになった次第である。